逆転合格体験記

甲子園出場から筑波大学へ

甲子園球児の大学受験武田 羅生

甲子園出場から筑波大学へ合格!!

プロフィール

  • 大学:筑波大学体育専門学群 2年
  • 合格大学:筑波大学体育学群、早稲田大学スポーツ科学部、同志社大学スポーツ健康科学科
  • 高校:岩手花巻東高校 偏差値48 野球特待生入学
  • 高校時代の部活:野球部 甲子園出場
  • 受験科目:英・国・世界史・数学I・科学基礎・生物基礎

Q 野球漬けの日々から受験するに至った経緯

 Key Point : レギュラーで甲子園出場

花巻東高校時代は背番号2番を背負いレギュラーとして甲子園出場を果たしました。キャッチャーとしてチームをまとめ、全力で野球に情熱を注いでいました。現役時代は朝5時に起きて朝練に向かい、一日中野球をするという勉強とは全く無縁の生活を送りました。

 

この図を見てくれればわかると思うんですけど、高校3年間で勉強をする時間は本当にゼロでした(笑)

学校でも練習が辛すぎるので、どうしても寝ちゃうんですよ(笑)

Point : 俺の力で大学を決めたい

「俺の力で大学を決めたい」そう思った理由は、中学時代に遡ります。中学時代は常に成績はトップでした。花巻東高校に特待生として野球の誘いがあったのと、「本気で甲子園に行きたかった」というので岩手県内で最も甲子園に近い花巻東高校に入学しました。ただ、勉強に力を入れている学校ではなかったので、偏差値は低く周りに受験をする人がいませんでした。そういう経緯があったので、「自分よりも上の偏差値の高校に行った人に進路で負けたくない」という思いから勉強を始めました。

Point : 将来の選択肢を増やしたい

もちろん「野球で大学を決める」選択肢はあったし、将来的に「ずっと野球を続けたい」という気持ちはありました。けれど「人生における将来の選択肢を増やしたい」と思ったので、高校時代1分も取り組まなかった勉強という分野に挑戦して人生の幅を広げました。やっぱり「良い大学」に行けば自ずと選択肢は増えてくると思ったので。

Q なぜ筑波大学を志望したのですか?

Point : 最初は東大志望

現役時代の最初は漠然と東大目指していました。先ほども述べた通り、中学までは成績も良かったので「俺なら余裕っしょ」って実際思ってました(笑)

Point : 自分に最適な目標と出会う

勉強をしていく中で、自分はやはり野球をずっとやってきたということで野球や身体に関する専門知識を身につけ学びながら自分のプレーに活かしたいという気持ちが強いことに気がつきました。その時に筑波大学体育専門学群はレベルの高いプレイヤーとスポーツに関する研究が盛んだということで筑波大学に志望校を変えました。

Q,成績はどのような感じで伸びていきましたか?

中学時代

→ 公立中学校で常に上位の成績

野球でも勉強でもどこでも高校に行けるように頑張ってきました。中学までの範囲なら結構完璧だったと思います。ただ、ここでのちょっとした成功体験がのちに受験勉強をする時に「勉強をなめてしまう」原因になってしまいました(笑)

高1〜高3 8月まで

→ 勉強時間ゼロ。圧倒的に差がついた

さっきのグラフを見てくれればわかると思うんですが、3年間勉強はできませんでした。だから、全国的に戦えるレベルではなく、中学時代に勉強で張り合っていた人達とも圧倒的な差をつけられました。

偏差値で言うと、38ぐらいだったと思います。

高3 8月 受験開始時

→ センター試験 300/900 約30%

 

高3 12月 センター試験直前

→ センター試験 /900

 

高3 1月 センター試験本番

→ センター試験 600/900 約67%

 

浪人 1月 共通テスト本番

→ 共通テスト /

 

浪人 3月 国立2次・私大本番

→ 筑波・早稲田・同志社に合格

 

 

Q 現役時代はどのように勉強をしていましたか?

Point : 起きている時間は勉強

起きている時間は勉強という感じでした。携帯は親に預けて、野球部の寮に篭って勉強をしていました。

 圧倒的な勉強量から見えてくる質

東大を目指している上に時間もなかったため、とにかく最初は圧倒的な量をこなすことを意識しました。たくさん勉強をこなしてくなかで自分に合った勉強が見つかっていき、段々と質も高まりました。二次試験の勉強をしながらでしたが最終的にセンター試験は600〜700点くらいになりました。

Q 浪人時代はどのように過ごしましたか?

 現役時代にある程度の要領は掴んでいたので、野球の練習もしながら勉強という感じでした。塾では授業をあまり重要視せず、インプットは自分で行って塾では問題を解きにいくという感じでした。また塾が提供する映像授業や設備などをうまく利用して提供してくれるものの中から自分に合ったものだけを有効活用して勉強していました。

Q,早稲田にも同志社にも受かったんですね

Point : 揺るがぬ覚悟

はい。でも合格してもいくつもりはありませんでした。自分はあくまでも、筑波大学の体育専門学群でスポーツを学びたかったので。だからこそ合格した後も入学金を払わず、退路を断ち、筑波に合格するために全てを注ぎました。合格できなかったら就職するという覚悟で受験に望んでいました。

早稲田や同志社は合格すれば今後の人生において自信になるだろうと思って受けました。

Point : 武田くんならではの受験戦略

自分が受験で成功した要因の1つとして受験戦略が良かったことが挙げられます。自分の場合は甲子園出場という経歴を持っています。その経歴は早稲田、同志社でスポーツの競技歴方式という入試方法を選択することができます。その方式は「競技歴+共通テスト」の点数で合格できます。筑波の入試も共通テストの結果で入れるので、共通テストの対策だけに絞れることが合格する確率を上げることができた要因です。

Q 合格できた要因は?

基礎知識の徹底的な追い込み

単語帳は絶対1日1周!!

自分はとにかく徹底的に基礎知識を繰り返しました。単語帳(英単語・英熟語・古文単語・語彙)を毎日1周以上やりました。理由としては、暗記した知識を試験で「使える知識」にするためです。とにかく繰り返すことで、反射的に知識を引き出す速さを高めました。

手を出しすぎるな!!

これあるあるの話なんですけど、「参考書に手を出しすぎる」人が多いと思います。でも、徹底的に繰り返すためには参考書も必要なもの」だけに絞ることが絶対です。もっといえば、覚える単語の数まで絞れれば良いと思います。自分の場合は英単語のターゲット1900を1400までに徹底的に絞ることで覚える量を減らしました。

その代わり、1400個の単語の1語1訳だけではなく複数訳・派生語・表現までキッチリ完璧に覚えていました。

Q 受験勉強において大事にしていたこと

Point 1 : とにかく継続すること

とにかく勉強を続けていくことが大事だと思いました。ただでさえ高校3年間での勉強時間はゼロなので、どうしてもその分の差は量をこなしていくことが必要最低条件だと思いました。

Point 2 : オンとオフの切り替え

自分の場合は周りに勉強をしている人が少なかったこともあり、自分で自分を奮い立たせて頑張っていました。集中できない時ってどうしてもあると思います。そういう時は「息抜き」をして頭と体を休めました。それをすることで、勉強をやるときは100%集中することができました。また、現役時代は息抜きとして学校を活用してました。学校の休み時間で友達と話をしてリラックスをして学校が終わってから「さあやるぞ。」という風に取り組むことを自分の中で決めていました。

Q これから受験する人へメッセージ

 まずはとにかくやってみることが大事だと思います。やっていく中で志望大学が決まり、自分の現在地点がわかれば自ずとそこまでの道が見えてくるので試行錯誤が大切だと思います。また自分ひとりではどうしようもないときは周りの友達、先生など頼ってみてもいいかもしれません。

 

ありがとうございます!!

では、次に教科ごとの勉強法を聞いていきたいと思います!!

 

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